約 32,887 件
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7379.html
朝鮮の歴史 / 韓国の歴史 /韓国 / 北朝鮮 / 李承晩 / 朝鮮戦争 ● 朝鮮の歴史〔Wikipedia〕 ● 朝鮮半島の歴史:検索結果〔Wikipedia内〕 ● 連合軍軍政期(朝鮮史) 38度線以南(南朝鮮)1945年8月25日、アメリカ軍が仁川府から南朝鮮への上陸を開始し、9月7日にアメリカ合衆国極東軍司令部が南朝鮮に軍政を布くこと宣言する ■ 李承晩と朝鮮半島の歴史 「ねずさんの ひとりごと(2011.10.12)」より / 大東亜戦争のあと、朝鮮戦争があったという事実は、多くの方がご存知のことです。 この戦争は、昭和25(1950)年6月25日~昭和28(1953)年7月27日の停戦まで戦闘行為が続きました。 いまでも、南北朝鮮の間に38度線が引かれ、韓国と北朝鮮の両国は戦争状態にありますが、一般に「朝鮮戦争」と呼ばれるのは、戦闘が行われていた上述の期間を指すようです。 さて、その朝鮮戦争ですが、戦闘期間を通じて、韓国では軍人約42万、民間人106万が命を失いました。そして約1千万人が一家離散の悲劇にあった。 大東亜戦争終結後、日本が軍事徴用した朝鮮人たちを国費をもって彼の国に返し、どうしても日本に残りたいと申し出て日本に残留した朝鮮人は、わずか245人です。 そのわずか245人が、戦後65年経ったいま、日本国内に約100万人にも増殖したのは、要するにこの朝鮮戦争が最初のきっかけです。 ひらたく言ったら、朝鮮半島で殺されそうになった朝鮮人たちが、ボートピープルとなって大挙して日本に逃げて来たのです。 昭和25年から昭和28年にかけての日本といえば、まだまだ貧しい国でした。 ほとんどの日本人は、まさに食うや食わずの苦しい生活を余儀なくされていた。 それでも、多くの日本人は身ひとつで逃げて来た朝鮮人たちをかくまい、衣食を与え、ときには経済的援助まで行って来た。 そのおかげで、多くの朝鮮人たちが、日本にそのまま定着して、現在に至っています。 また韓国については、戦後たびたびウォンが危機状態となり、巷に失業者があふれ、結果として職を求めて(このとき女性は売春による荒稼ぎ目的で)日本にやってきた者も多い。 それでも昭和の間は、日本に永住していても、たとえば運転免許証などでは、免許証の一番上の「国籍/本籍」欄に、「国籍:大韓民国」とか表示され、だから免許証をみれば渡来人かどうかがわかった。 ですからサラ金が世に出た当時は、貸付審査に際して、運転免許証を見て、韓国人だとわかれば、融資をお断りしていた。 それがなぜか、お国からの通達で、外国人だからと融資を断ってはイケナイとされるようになり、挙げ句の果てが、どこでどう決まったのか、いまでは運転免許証の「国籍/本籍」欄は、印刷上は空白とされ、警察の保有する特殊な機械を使わないと、一般人には外国人であるかどうかの識別はできなくされている。 実に不思議な話です。 (※ 以下長文略、詳細はブログ記事で) .
https://w.atwiki.jp/staff-officer/pages/163.html
緒方重威は北鮮二重スパイか…反日弁護士との親密度 東アジア黙示録さんより重要部分抜粋 関連項目: 北朝鮮工作組織と朝鮮総連 渦中の元公安調査庁トップは会見で総連支持を明言。謀議を仲介した有名な反日弁護士は友人だった。正に緒方の役回りは二重スパイ…特捜部が乗り出し、事態は急展開した。 これは不動産売買に絡んだ経済事犯などではない。日本海を股にかけた謀略事件だ。北朝鮮の浸透作戦が完成していたショッキングな事実が浮かび上がる可能性すら出てきた。 総連中央本部を極秘に買い上げていた元公安調査庁長官・緒方重威(しげたけ) が13日午後、釈明の会見を開いた。しかし緒方の口から飛び出したのは、徹底したテロ組織擁護の言葉だった。 「朝鮮総連を助けるため、購入しようとした」 最高幹部3人が拉致事件絡みで警視庁公安部から出頭要請を受ける中、元公安調査庁トップは堂々と「総連救済」を訴えた。 会見は弁明ではなく、総連を断固擁護する緒方の思想・信条を吐露するものだった。 「総連は違法行為をし、日本に迷惑をかけている。だが中央本部は実質的に北朝鮮の大使館の機能を持ち、在日朝鮮人の権利保護の機能も果たしている。大使館を分解して追い出せば在日のよりどころはなくなり、棄民になってしまう」 【テロ組織側に立つ情報機関元トップ】 更に緒方重威は、自分の体験と重ね合わせ、意味不明な発言を続けた…「満州から必死に引き揚げ、祖国を強く感じたことを思い出し、自分の琴線に触れた」 自分の琴線に触れれば犯罪組織の擁護も可能になるらしい。個人の印象で善悪を判断できるのならば、法は要らない。ここにも緒方重威の脱法感覚が滲み出ている。 祖国を強く思う気持ちを斟酌するのならば、朝鮮総連の関係者が即刻帰国できるように配慮するのがベターだ。 それとも緒方は在日朝鮮人の多くが「4・3事件」で済州島から必死に逃げた来た事実とオーバーラップさせているのか? こうした緒方を育て上げた公安調査庁は13日、柳長官が自民党法務部会に出席し、陳謝すると共に、こう指摘していた。 「公安調査庁の信頼を失いかねない重大な事態」 今回の北朝鮮内通事件で公安調査庁の信用性は殆どゼロになるまで失墜した。日本人を裏切って朝鮮人サイドの利益を守る側に回っていたことが明らかになったのだ。 柳長官の発言について、緒方重威は、異を唱えた。「自分は正しい判断をしたと思う」 完全な居直りである。犯罪組織の強化が公安調査庁元トップの判断だという。テロ支援者に等しい発言だ。さらに緒方重威と総連最高幹部との極秘会談も白日の下に晒された。 【仲介役は親北の大物弁護士だった】 今年4月…銀座にあるビルの6階に緒方重威が姿を現した。そこで緒方を待っていたのは 朝鮮総連ナンバー2の許宗萬(ホ・ジョンマン) だった。 許宗萬は、2児拉致事件で警視庁公安部から出頭要請を受けている人物だ。 肩書きは朝鮮総連責任副議長。ナンバー1の徐萬述(ソ・マンスル)に次ぐ大幹部で実質的に総連を取り仕切っているとも言われる。 極秘会談の目的は、差し押さえ状態にある富士見の総連中央ビルを真守り抜く為の裏取引だ。 日本人の手に渡さず、不法占有を継続させる謀議だった。 6月18日の訴訟判決で敗訴した場合、総連中央ビルの明け渡しは確実となる。その事態を回避する為に緒方と許宗萬は、巧みな売買計画を練ったようだ。そこで練られたのが、緒方を代表取締役としてダミーの投資顧問会社に派遣、ファンド形式で出資者を募るというシナリオだった。ことは簡単に進んだようで4月19日には緒方が取締役に就任している。 これだけでも異常な売国風景だが、 その謀議の舞台を整えたのが、法曹界の重鎮にして総連シンパである弁護士・土屋公献(つちや・こうけん)だった。 土屋公献は日本弁護士連合会の会長までのし上がった人物だが 「9条ネット」の共同代表を務めるなど、有名な反日ファシストである。 3年前の総連全体大会では来賓として、こう挨拶している。 総連第20回大会にお招きいただき、厚く御礼申し上げる。戦後約60年が経つが、日本政府はいまだに過去を見つめようとしていない。その愚かさ、卑劣さを日本人の一人として恥ずかしく思う。 参照:朝鮮新報2004年6月1日『〈総連第20回全体大会来賓あいさつ〉 平和は過去の清算から』 恥ずかしいのは土屋だ。一方の緒方はテロ組織幹部との共同謀議について、こうシラを切っている。 「総連の幹部(許宗萬)には今回初めて会った」 しかし、今回の報道では緒方重威の過去に疑惑の部分があることが判った。 【昭和30年代から反日弁護士と関係】 なぜ公安調査庁元トップの緒方重威が、親北弁護士の土屋公献の事務所で謀議を進める事態になったのか… なんと緒方と土屋は司法修習同期生で、以前から深い関係にあったことが判った。 司法修習は司法試験合格後の研修プログラムで、全カリキュラムを終えて、検事・弁護士の道に入る。 総連擁護の最前線に立つ有名な親北・反日弁護士と、情報機関のトップは、昭和30年代から関係を持っていたのだ。 緒方重威 不可解な密会劇…すべては朝銀事件の闇に 緒方重威は監視網を知りながら総連幹部と会っていた。堂々たる“密会”は何を意味するのか…メディアは裏取引の経緯に着目するが、事件の背景にあるのは朝銀問題の深い闇だ。 6月13日、最初の会見で緒方重威(しげたけ)は報酬について、こう語っていた。「着手金は1,000万円で、年100万円を5年間受け取る予定だが、まだもらっていない」しかし、 東京地検特捜部の調べで、実際に緒方重威の手に渡っているカネは、その10倍だったことが判明。緒方自身も白状している。 「4月に元社長から1億円を受け取った」 元社長とは、この事件の仲介役・満井忠男だ。バブル期に地上げで名を轟かせた「三正」代表で、98年には仮想売買で逮捕。今回の総連本部事件でもキーマンとなっている。これまでの所、大掛かりな事件の割には、登場物は少なく、5人前後。そしてカネの流れも意外に単純化されている。 朝鮮総連ヤミ金庫の“黒い頭取”=許宗萬(ホ・ジョンマン)から満井忠男に流れたのが4億8,400万円。 その満井から約1億5,000万円が出資調達役の42歳元銀行員に渡っていた。2億円は許宗萬に返却。 残るは1億円…18日の会見で9条ネット共同代表の土屋公献は、こうシラを切っていてた。 「3億5,000万円は保証金。残り1億円以上は私にも分からない」 余りにもお粗末なウソだった。 その会見の時点で既に1億円は緒方重威のサイフに入っていたのだ。在日不法マネーを取り仕切る暗黒弁護士にしては脇が甘過ぎた。 裏金の流れは素早く判明したが、反面、特捜部が登場人物を少数に絞り、背後まで追及せず、打ち止めにする恐れもある。この事件の本質は総連本部の保全というシンプルなものでは決してないのだ。 【事態が急展開した6月11日の謎】 露見直前、総連サイドの許宗萬自身が、まるで“自爆”するかのような不用意な行動を取っていた。4月中旬に緒方重威は土屋公献の事務所を訪れ、許宗萬と謀議を行なったことが明らかになっている。だが、緒方と許宗萬が接触したのは、この1回だけではない。緒方本人が13日の最初の会見で自ら、こう自白している。 「(許宗萬と)土屋事務所で数回、会った」 何度も謀議を重ねていたのだ。そして18日の会見で緒方は注目すべき発言をしている。 「カネが(元社長に)行ったと知ったのは11日の夕方です」 緒方自身の説明によれば、6月11日、今度は許宗萬が緒方のオフィスを訪れ、謝礼金について説明をしたという。ガードの甘い、不可解な訪問だ。これを我が国では「密会」と呼ばない。 警視庁公安部外事二課は、許宗萬を行確(行動確認)対象にし、完全に足取りをマークしている。ほぼ24時間監視を行ない、許宗萬がどこで誰と会うか徹底調査しているのだ。それは許宗萬も承知している。 外事二課の捜査官は、6月11日に許宗萬が元公調トップの事務所に入っていくのを確実に捕捉していた。見逃すことは、あり得ない。つまり11日の時点で外事二課は“動かぬ証拠”を掴んでいたのだ。 【行確を知りつつ動いた許宗萬&緒方】 毎日新聞が追及を始めたのも、表向きだが、11日のことだった。スクープ記事の最後半に、何気ない記述がある。毎日新聞は11日、弁護士事務所や家族を通じて緒方氏に取材を申し込んだが、12日未明までに回答を得られていない。(毎日新聞12日) 電話取材だけではなく、港区のオフィスや目黒区の自宅まで押し掛けていたと考えられる。許宗萬の緒方事務所訪問に前後して、毎日新聞は詰めの取材を行なっていたのだ。事件発覚後の14日朝、緒方重威は強制捜査に憤慨していた。 「ここをガサ(捜索)して事実をつくることが大事だったんですよ。何のために…? それは、これを潰すためです。取引を」 意味深長な発言だ。インテリジェンス機関の長だった緒方重威は、許宗萬が行確対象であったことを知っている。それを承知で許宗萬の緒方オフィス訪問を許していた。警視庁公安部外事二課に、自分と許宗萬の関係を見せつけるかのような異常な行為だ。大胆不敵である。緒方と許の双方が不用心だったとは到底考えられない。 2人が共に抱いていたのは、例え外事二課が気付いても、捜査の手を伸ばして来ないだろうという確信だ。架空取引、強制執行妨害を行なっても、表沙汰にならないという自信である。 その確信は、どこから来ていたのか? 【総連中央ビルの命脈は絶たれた】 問題となった千代田区富士見の朝鮮総連中央本部は、18日の地裁判決で競売の対象になることが確実となった。仮執行宣言が付いていたのがポイントで、判決確定前でも差し押さえ、競売が可能だ。 朝鮮総連の序列3位・南昇祐(ナム・スンウ)は、翌19日に火病談話を発表、こう息巻いている。 「RCCの債権回収問題が政治問題に変質し、朝鮮総連中央本部会館を駆逐せよと言わんばかりの異様な状況が作られたことは、現政権の朝鮮総連敵視政策と在日朝鮮人に対する排外主義に起因する」 文句があるなら借金を返してからにせよ。日本人様にお金を頂戴して逆ギレするとは余りにも愚かしい。 マスコミも関連ニュースで、競売がただならぬ事態で、総連の凋落を示すものだといった論調で伝えている。ところがRCCによって総連の重要施設が競売にかけられるのは、これが初めてではなかった。 【競売にかけられた重要工作拠点】 朝鮮総連は、千代田区の中央本部以外にも、都内には2つの工作拠点を持っている。 文京区千石4丁目の東京都本部、そして、同じく文京区白山の朝鮮出版会館。 2拠点のうち、朝鮮出版会館が2001年に競売に出された。朝鮮新報社や科協、留学同など20余りの工作機関が入る悪の巣窟ビルだ。 今年4月、環状線封鎖の朝鮮人騒擾事件が起きた現場でもある。 地上13階建て、敷地面積は約180坪。白山通りに面した交通至便な都心の一等地である。周囲は神社・仏閣も多い閑静な高級住宅街だが、不逞半島人が居座り、ロケーションを台無しにしている。 競売にだされた朝鮮出版会館だったが、占有権を主張するダークな面々を恐れてか、結局、買い手は現れず。競売は取り下げられた。 その後、不透明な顛末を経て、所有権は「朝鮮出版会館管理会」という有限会社に移っている。 ジャーナリスト野村旗守氏の丹念な取材によれば、 この有限会社は総連のダミー会社で、設立は2000年12月。当時の社長は、朝鮮学校の教科書をつくる「学友書房」の河泰弘(ハ・テホン)。もちろん総連幹部だ。 2001年7月に朝鮮出版会館を担保に約4億8,000万円の融資を受けていることが判明。 融資を行なったのは宮内善彦率いるオリックスだった。 状況から判断すると、総連がダミー会社を使って元競売物権を取り返したことは明らかである。問題は5億円以下で買い戻したことだ。 【悪の錬金術で生まれた50億円】 バブル全盛期、朝鮮総連は、この出版会館を担保に、なんと80億円を超す乱脈融資を行なっていた。 当時の不動産価値は推定30億円以下。 つまり50億円が悪の錬金術で生み出されたのだ。その乱脈融資を行なったのが、朝銀大阪と朝銀東京だった。 融資枠を越えているにも関わらず、約50億円が魔法のように捻り出された… そしてバブル崩壊で当然のように朝銀は破綻。50億円もの乱脈融資のツケを被ったのは、善良な日本人勤労者だった。 これを不良債権と呼ぶのは容易い。しかし、朝銀のケースは全く違う。 錬金術で生み出された巨額マネーは、北朝鮮に送られたのだ。想像を絶する国際金融犯罪である。 だが、それにも関わらず、2001年の朝鮮出版会館をめぐる問題は、ニュースにならなかった。あらゆるメディアが無視する完全な闇の中で買い戻しが進められたのだ。 それが今回の中央本部偽装売買事件で何を意味するのか? 朝鮮出版会館の買い戻しで暗躍したのも許宗萬だった…つまり、 許宗萬は取引が「事件化・表面化」しないという絶対の自信があったのだ。そして、緒方重威にも過去のケース同様に、問題化しないという確信を持っていたに違いない。それだからこそ、外事二課の監視を知りながら堂々と何回も接触を続けていた、と考えられる。 2人の確信は共通している。異常な取引をしてもバッジ(国会議員)が守ってくれると安心しきっていたのだ。 【葬られた史上最大の金融犯罪】 今回の事件で浮かび上がった4億円、5億円などタバコ銭に過ぎない。更に、30億円とも言われる中央本部の不動産も、微々たるカネだ。 背景にあるのは、公的資金1兆4000億円が注入された朝銀問題である。 RCCが総連に返済を求める627億円。それも朝銀の乱脈融資・違法送金が生み出した文字通りの負の遺産だ。 この期に及んでも各メディアは事件の根源をなす朝銀問題に触れようとしない。 マスコミはバッジを恐れ、迎合し、10年以上も国民を欺き続けた。 朝銀問題は日本史上の最大の金融犯罪とも言われる。 それを無視して国政を論じる資格はない。問題の核心は、朝銀をめぐる深い闇の中にある。過去に葬り去ったものを、覚悟を決めて掘り起こせ。 必ず続けて読んでください。日本国民は舐められている! 慰安婦問題捏造システム 組織‐人物」関連図 以下、丸暗記 覚えるまで何度も復唱すること 中国共産党反日組織「世界抗日戦争史実維護連合会」⇔マイク・ホンダ⇔小沢一郎・韓国人秘書⇔江田五月ほか民主党議員、共産党議員、福島瑞穂⇔朝鮮総連、(韓国)民潭⇔土屋公献⇔中山武敏、戸塚悦郎、荒井信一、李容洙 参 - 建設委員会 - 7号 昭和63年04月12日 参 - 法務委員会 - 8号 平成07年04月25日 下稲葉耕吉君 ひとつ、どういうふうな情勢でございましょうとも、法律を適用する捜査官という者はやはりそれに基づいて厳正でならなくちゃならない、どういうふうなものにもたえられる捜査でなくちゃならない、このように思います。 次に、本件につきまして、「破防法適用を準備」、「オウム調査団体に指定」というような報道が大きくなされているわけでございます。 破防法に基づく団体の解散なりなんなりというものは、破防法が制定以来今日まで適用されたことはございません。いろいろな極左暴力集団の過去における騒擾まがいの事件に関連いたしましでこの適用が議論されたことはございますけれども、今日ないわけでございます。ここで言う「調査団体に指定」という言葉も私自身ちょっと奇異に感ずるわけでございますが、「破防法適用を準備 公安調査庁」というふうな報道がなされておりますが、これにつきましても公安調査庁のはっきりしたひとつ姿勢といいますか、考え方といいますか、方針といいますか、お話しいただきたいと思います。 政府委員(緒方重威君) まず、調査対象団体の指定ということについての意味を御説明申し上げたいと思いますが、これは公安調査庁長官が内部職員に対してこの対象団体を調査しなさいということを命ずる内部的な行為でございます。調査官の調査活動が個人の恣意にわたることのないように、統一的、効率的に行われる必要があるところからやっておるところでございまして、あくまでも内部の指示にすぎません。その時々の状況に応じて指定をしてみたり指定を解除してみたりしてございます。 ところで、指定とオウム真理教の関係でございますが、今回の一連の事件について破防法の適用を想定し、検討する前提といたしましては、まず個々の事件の事実関係の解明及びその行為が団体の行為として行われたことの解明、この両方の事実関係の解明が必要であろうと考えております。この両方の事実関係の解明につきましては、現在、警察、検察において鋭意捜査されているところでございますけれども、現時点では個々の事件の解明の段階ではなかろうかと理解しております。いずれ、個々の事件の解明を通じて団体の行為の解明ということもなされるだろうと考えております。 公安調査庁といたしましても、目下のところ、団体としてオウム真理教自体を対象団体に指定はしておりません。しかし、一連の事件は公安上憂慮すべきものであると認識しておりまして、重大な関心を持って全般的に情報収集に努めているところでございます。 下稲葉耕吉君 ちょっと確認いたしておきますが、今の御説明によりますと、公安調査庁長官が御指定なさると、そして調査しなさいということですが、長官が指定なさる手法というのは、どういうふうなことになれば指定なさるんですか。 政府委員(緒方重威君) 過去に破壊的活動を行い、かつ現在においてもその団体が継続しで破壊的活動を行うおそれがあるということが十分認められるような団体につきまして、一般的にこの団体を継続して調査するようにということで長官が調査官に指命している、指示しているということでございます。 参 - 法務委員会 - 10号 平成07年06月08日 平野貞夫君 公安調査庁長官にお尋ねしたいと思いますが、私は前回の法務委員会それから先般の本会議の質問で、今申し上げたように、大変恐ろしい戦略兵器にも使えるというサリン事件、これをめぐりまして、再発防止のためにも明確な国家意思で組織の解散なり処置・処断をすべきであるということを申し上げてきたんです。報道によりますと、法務省内でも、宗教法人法による組織の解散、午前中に下稲葉先生からのお話がございましたが、それから破防法による解散という二つ、両方の方法があるようですが、これは宗教法人法で解散させて、さらにその上で破防法で解散させる、そういう併用が可能なものなんでしょうか。それと、その二つの方法で処分の差といいますか効果といいますか、どういうものがありますか、ちょっと教えていただければと思います。 政府委員(緒方重威君) 宗教法人法による解散と破防法による解散請求でございますが、それぞれ要件も効果も異なっております。また、具体的な案件の対応についても、やはり要作、効果に従ってそれぞれ異なってくるところでございまして、同時に併用する場合もあれば、あるいは片方だけしかやらないという場合もあろうと思います。理論的には、どちらか一方をやればこちらは立たず、許されないという関係にはないというふうに理解しております。 それから、効果の面でございますけれども、宗教法人法による解散請求、これによる解散命令ということにつきましては、認可を受けた宗教法人の資格を剥奪するという効果は基本的にある。剥奪した結果、財産等の清算手続もしなければならないということに相なろうと思いますが、その宗教法人が今後、団体として、宗教法人としての認可を受けない団体として存続し活動すること自体につきましては、宗教法人法の解散命令は何ら効果の及ばないところでございます。 一方、破防法の方でございますけれども、公安審査委員会におきまして当該団体に対して解散命令が出ますと、直ちにその効果は発生して、以後その団体のためにする行為は団体の構成員は行うことができない、行った場合には当該人物に対して個人の刑罰責任が及ぶということになってございます。 財産の整理の関係につきましては、これは宗教法人法による解散と似たところがございますが、解散命令が確定いたしますと、当該宗教法人は財産を清算しなければならないという規定になっております。 平野貞夫君 いずれにせよ、国民はこの処置について注目をしていると思いますので、法律に基づく手続と、そしてしっかりとした判断を再度要請しておきます。 これもちょっと捜査中ということで、あるいはおわかりにならないならおわかりにならないということで結構でございますが、東京の地下鉄サリン事件が発生した直後、報道によりますと、ニューヨークとソウルでサリンでのテロを前提とした緊急厳戒態勢がとられたという報道がございました。それから、昨年の松本サリン事件以来、米国と韓国ではサリンによるテロに強い警戒態勢、そういうものを意識したものが準備されているという報道がありましたが、公安調査庁としてそこら辺のことは承知されていたかどうか。 政府委員(緒方重威君) 委員御案内のとおり、アメリカでは地下鉄サリン事件と前後いたしまして、オクラホマで連邦ビル爆破事件が発生しております。その関連で国内の公的施設等の警戒が強化されたというふうに承知しております。 また、韓国の関係でございますが、本年の三月二十一日に韓国政府におきましては、内務、国防、警察などの関係部署が合同で緊急会議を開きまして、類似事件の対応についての対策を検討したということも承知しております、また、韓国におきましては、サリン事件の発生以前から民間防衛の日というのが決められておりまして、毎月一回定例の訓練をしておりますが、我が国におきまして地下鉄サリン事件が発生いたしましたので、この事件の教訓も取り入れて毒ガ又対策の訓練を行ったということも承知しておる次第でございます。 平野貞夫君 再度公安調査庁にお尋ねしますが、私の先般の本会議での、 早川容疑者が二十一回ロシアヘ行った、そして十数回北朝鮮に入ったんではないかという報道があるという質問に対して法務大臣から、二十一回の方はそうだと、一方の方については確認できておりませんという答弁がございました。 その後、十七回入ったとか十四回入ったとかという報道が続けられておりますが、その後このことについて何か御確認されているかどうか。 政府委員(緒方重威君) 早川被告がモスクワに委員が御指摘のような回数、多数回行っているということは確認しておりますが、北朝鮮に多数回にわたって行ったという事実に関しては確認しておりません。 三石久江君 次に、法務省にお伺いいたします。地下鉄サリン事件等の犯罪が明らかになれば宗教法人法に基づいてオウム真理教の解散請求がされると伝えられておりますが、そのような場合に関連企業の扱いはどうなるのでしょうか。一説には、教団が解散になっても、それとは別法人である関連企業は存続し、オウムの拠点として活動をし続けるのではないかとも言われていますが、これに対してどのような対策をお考えになっているか、お聞かせいただきたいと思います。 政府委員(緒方重威君) 破壊活動防止法の観点から私ども所管する範囲においてお答えしたいと思いますが、委員御案内のように、破壊活動防止法で対象とする団体は暴力主義的な破壊活動を行った団体ということでございまして、宗教法人に限らずあらゆる任意団体に対しても、その団体が暴力主義的な破壊活動を行い、かつそれを今後も行うおそれがある場合には団体として解散請求ができるものでございます。 お尋ねの関連企業でございますが、問題は、関連企業とその主体となるオウム真理教との関係に相なろうかと思いますが、これにつきましては具体的な事実関係を見なければわからないところでございまして、目下その点につきましては、それぞれ、警察、検察においても捜査をしているところでございますし、公安調査庁といたしましても、今、調査を進めているところでございます。 したがいまして、ここで端的に、関連企業も団体として解散請求ができるのか、あるいは別途になるのか、あるいは財産関係はどうなるのかということについては、必ずしも確答を申し上げにくいところでございます。しかし、大きな真理教の団体としてのごく一部門であるというような形で仮に事実が把握されるようになれば、やはりおのずからそこに結論が出てくるところだろうと、かように思っております。 132 - 参 - 法務委員会 - 10号 平成07年06月08日 平野貞夫君 公安調査庁長官にお尋ねしたいと思いますが、私は前回の法務委員会それから先般の本会議の質問で、今申し上げたように、大変恐ろしい戦略兵器にも使えるというサリン事件、これをめぐりまして、再発防止のためにも明確な国家意思で組織の解散なり処置・処断をすべきであるということを申し上げてきたんです。報道によりますと、法務省内でも、宗教法人法による組織の解散、午前中に下稲葉先生からのお話がございましたが、それから破防法による解散という二つ、両方の方法があるようですが、これは宗教法人法で解散させて、さらにその上で破防法で解散させる、そういう併用が可能なものなんでしょうか。それと、その二つの方法で処分の差といいますか効果といいますか、どういうものがありますか、ちょっと教えていただければと思います。 政府委員(緒方重威君) 宗教法人法による解散と破防法による解散請求でございますが、それぞれ要件も効果も異なっております。また、具体的な案件の対応についても、やはり要作、効果に従ってそれぞれ異なってくるところでございまして、同時に併用する場合もあれば、あるいは片方だけしかやらないという場合もあろうと思います。理論的には、どちらか一方をやればこちらは立たず、許されないという関係にはないというふうに理解しております。 それから、効果の面でございますけれども、宗教法人法による解散請求、これによる解散命令ということにつきましては、認可を受けた宗教法人の資格を剥奪するという効果は基本的にある。剥奪した結果、財産等の清算手続もしなければならないということに相なろうと思いますが、その宗教法人が今後、団体として、宗教法人としての認可を受けない団体として存続し活動すること自体につきましては、宗教法人法の解散命令は何ら効果の及ばないところでございます。 一方、破防法の方でございますけれども、公安審査委員会におきまして当該団体に対して解散命令が出ますと、直ちにその効果は発生して、以後その団体のためにする行為は団体の構成員は行うことができない、行った場合には当該人物に対して個人の刑罰責任が及ぶということになってございます。 財産の整理の関係につきましては、これは宗教法人法による解散と似たところがございますが、解散命令が確定いたしますと、当該宗教法人は財産を清算しなければならないという規定になっております。 平野貞夫君 いずれにせよ、国民はこの処置について注目をしていると思いますので、法律に基づく手続と、そしてしっかりとした判断を再度要請しておきます。 これもちょっと捜査中ということで、あるいはおわかりにならないならおわかりにならないということで結構でございますが、東京の地下鉄サリン事件が発生した直後、報道によりますと、ニューヨークとソウルでサリンでのテロを前提とした緊急厳戒態勢がとられたという報道がございました。それから、昨年の松本サリン事件以来、米国と韓国ではサリンによるテロに強い警戒態勢、そういうものを意識したものが準備されているという報道がありましたが、公安調査庁としてそこら辺のことは承知されていたかどうか。 政府委員(緒方重威君) 委員御案内のとおり、アメリカでは地下鉄サリン事件と前後いたしまして、オクラホマで連邦ビル爆破事件が発生しております。その関連で国内の公的施設等の警戒が強化されたというふうに承知しております。 また、韓国の関係でございますが、本年の三月二十一日に韓国政府におきましては、内務、国防、警察などの関係部署が合同で緊急会議を開きまして、類似事件の対応についての対策を検討したということも承知しております、また、韓国におきましては、サリン事件の発生以前から民間防衛の日というのが決められておりまして、毎月一回定例の訓練をしておりますが、我が国におきまして地下鉄サリン事件が発生いたしましたので、この事件の教訓も取り入れて毒ガ又対策の訓練を行ったということも承知しておる次第でございます。 153 - 衆 - 法務委員会 - 3号 平成13年10月24日 佐々木(秀)委員 そこで、先ほど裁判所堀籠事務総長からも司法改革に取り組む裁判所の決意をお伺いをいたしました。お話によりますと、裁判所としてもこの意見書を評価して、そして、目指す方向は大体同じだということで、積極的な協力、御努力をなされるとともに、みずからやるべきことについてもやる、こういうお話でしたね。 お聞きをいたしますと、実は、この意見書が出た後、九月とお聞きしておりますけれども、最高裁判所は、人事制度のあり方研究会という研究会を設けて、既に裁判官の人事制度について検討を始めている、こういうようにもお聞きをしているわけですけれども、これはどんな構成で、まだ日は余りたっておりませんけれども、どんなことについて話し合われ、これからはどんなことについて協議をなされようとしておられるのか、その辺をお差し支えなければお知らせいただきたいと思います。 堀籠最高裁判所長官代理者 最高裁判所は、委員御指摘のように、事務総局に裁判官の人事評価のあり方に関する研究会を設置いたしまして、裁判官の人事評価のあり方全般について調査検討をすることといたしました。 司法制度改革審議会において、評価権者及び評価基準を明確化、透明化するなど、可能な限り透明性、客観性を確保するための仕組みを整備すべきであるとされたところでございます。この点につきましては、最高裁判所といたしましても、既に司法制度改革審議会の中で、人事の透明性の要請が社会一般における最近の流れであるとの認識に立って、諸外国の制度等も参考にしながら、現場の裁判官の意見も十分に聞いて、裁判官の人事評価の検討を進めたいという考え方を明らかにしてきたところでございます。 そこで、このたび、司法制度改革審議会の意見を踏まえまして、裁判官の人事評価の制度の具体的検討の一環といたしまして、 裁判官の人事評価のあり方全般について多角的に調査検討するため、事務総局に研究会を設置することといたしました。 このメンバーは、元最高裁判所判事の大西勝也弁護士、それから元日本弁護士連合会事務総長の稲田寛弁護士、それから 元広島高等検察庁検事長の弁護士の緒方重威弁護士 それから読売新聞社調査研究本部主任研究員の金丸文夫氏、それから学習院大学法学部教授の長谷部由起子教授、それから裁判官の立場ということで、東京高等裁判所部総括判事の吉本徹也判事、それから東京地方裁判所部総括判事の福田剛久判事、この七名で構成しておりまして、第一回の研究会は九月に開催いたしまして、およそ一年程度の予定で調査検討することになっております。 166 - 参 - 法務委員会 - 22号 平成19年06月19日 前川清成君 それで、今回、元公安調査庁長官の緒方重威さんが経営するハーベスト投資顧問という会社が朝鮮総連中央本部の土地建物を購入されました。この件について法務大臣としてはどのようにお考えになっておられるのでしょうか。 国務大臣(長勢甚遠君) ハーベスト投資顧問会社は、元公安調査庁長官である緒方氏が代表取締役を務める会社というふうに承知をしております。本件取引は、緒方元公安調査庁長官は既に退職された方でありまして、その個人的な、個人としての行為だとは思いますけれども、在職中の立場等を考えると、より慎重な配慮が必要だったんではないかと私は思っております。しかし、在職中の職務との関係は一切ないというふうに承知をしております。 前川清成君 慎重な配慮が必要だったと今おっしゃったんでしたかね、緒方長官は慎重な配慮が必要だったと、こうおっしゃった。具体的には、違法あるいは合法、犯罪に当たる当たらない、その辺の判断としては大臣はどのようにお考えになっているんでしょうか。 国務大臣(長勢甚遠君) 違法、犯罪ということになりますと捜査当局において御判断されることでありますので、私からは申し上げませんが、この公安調査庁と朝鮮総連との関係といいますか、等を含めれば、いろいろなことを考えられる、そういう疑いを持たれる可能性もあるわけですから、そういうことはやっぱり慎重にお考えいただきたかったなと思っております。 前川清成君 今、この緒方さん、あるいは土屋公献元日弁連会長等々の取引に関して世間が非常に大きな関心を抱いておられます。連日のように報道されてます。それに対して、その最高責任者である法務大臣の御見解が慎重に配慮すべきであったという程度であれば、私はちょっと国民の皆さん方に対する説明責任を果たしていないと思うんですけれども、もう少し、例えば組織に対する反省であるとか、あるいはこれから何をどのように取り組んでいかなければならないのか、その大臣としての御見解、御見識はないのでしょうか。 国務大臣(長勢甚遠君) 元長官の行為についての御質問でありましたのでそのように申し上げましたが、公安調査庁は先ほど申しましたような職務をやっておるわけでありますから、それが国家のために公正に整然と行われておるべきことであって、逆にその対象団体との、何かそれとは関係のない関係があるというふうに疑われるようなことがあってはならない、それはそのとおりでありますし、また情報の保持ということも大変大事な職分でありますので、そういう意思を持ってきちんと仕事をするように私からも長官等には申し上げておきましたし、今後、国民の皆さんにいろんなあらぬ関心を持たれないようにきちんとやるように指導してまいりたいと、このように思います。 前川清成君 私、最初にどうして公安調査庁の長官が検事なのですかというふうにお尋ねをいたしました。それに対して大臣の方からは、破壊活動防止法等々に対する法律的な知識が必要だと、こういうふうにおっしゃいました。私は、破壊活動防止法だけではなくて、刑法や民法等々法律に関して、検事ですから幅広い知識、専門的な知識を持っておられると思います。ところが、大変失礼な言い方ですが、今回の判決直前に差押えの対象になるであろう不動産を譲渡しておいて、一点の違法もないとか、ちょっとその法律家としての基本的な何かが欠けていると思わざるを得ないような御発言があるんです。 そこで、ちょっともう少し緒方さんの問題あるいは公安調査庁の問題について法務省においてしっかりとお取り組みをいただかなければならないのではないかと思っています。それと、整理回収機構自体も、これサービサーの登録をしていまして、法務省の監督対象、監督というんですかね、指導対象になっているそうです。ただ、今回の事件も、実は整理回収機構が裁判に先立って仮差押えをしておけば何の問題もなかった。それなのに、その仮差押えを、私、登記簿謄本は確認していませんが、報道等では仮差押えしていない。これ、両方とも、公安調査庁だけじゃなくて、整理回収機構の方にも少し慎重な丁寧な作業がなかったのではないかなと、私はそう思っています。その点で、またこの辺も是非お取り組みをお願いしたいと思います。 時間の都合もございますので、本題に入らせていただきます。 さて、前回簗瀬理事も言及されましたけれども、十三日にこの法務委員会では参考人質疑をさせていただきまして、地下鉄サリン事件の被害者の会代表世話人高橋シズヱさんたちから御意見を承りました。その際に、高橋さんは、裁判は、御主人、亡くなられたその刑事裁判ですが、何が何だか分からないうちに終わってしまいましたと、こういうふうにお述べになりました。 そこで、今日、警察庁にもお越しいただいているんですが、今まで警察は、被害者やその御遺族に、いつだれから何をどのように伝え、説明してきたのか、警察から被害者や被害者の御遺族に対する情報伝達についてお尋ねをしたいと思います。 168 - 参 - 外交防衛委員会 - 17号 平成20年01月08日 浅尾慶一郎君 続きまして、苅田港の遺棄化学兵器の処理を最終的に元請で受注したのは神戸製鋼ということでございますが、当時、神戸製鋼の監査役であった緒方重威さんという方を御存じでいらっしゃいますか。 参考人(秋山直紀君) 存じ上げておりません。 匿名 さんのコメント http //tokumei10.blogspot.jp/2011/10/blog-post_7791.html ICF (Orben) ? 2001年12月 翼システム、オーベン(旧:アイ・シー・エフ)の筆頭株主となる 2002年04月 小野高志氏がオーベン社長に就任 2003年10月 佐藤克氏がオーベン社長に就任 2004年01月 翼システム、梁山泊グループのビタミン愛に保有株の大半を売却 2005年06月 元公安調査庁長官の緒方重威氏がオーベン監査役に就任 2006年01月 オリンパス傘下のITXが翼システムのパッケージソフトウェア事業を買収 2006年08月 大蔵省(現:金融庁)証券取引等監視委員会総括調整官、ソフトバンク常務を歴任した江口隆氏がオーベン社長に就任 2007年06月 緒方重威氏、朝鮮総連ビル詐欺事件で逮捕される 2008年02月 梁山泊グループによる株価操縦事件で佐藤克オーベン元社長、梁山泊グループの豊臣春国代表、 小野高志オーベン元社長、元港陽監査法人所属の田中慎一逮捕 佐川肇と濱田雅行が繋がったら後は崇仁協議会やオウム真理教や後藤組や朝鮮総連や北朝鮮関係の闇へまっしぐらw 2011年10月25日 1 34 http //megalodon.jp/2013-0804-0022-07/tokumei10.blogspot.jp/2011/10/blog-post_7791.html 朝鮮総連本部競売問題
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7657.html
日韓関係 +ブログサーチ #blogsearch +ニュースサーチ gnewプラグインエラー「朝鮮民族抹殺計画」は見つからないか、接続エラーです。 ● 朝鮮民族抹殺計画〔Google検索〕 ● 日韓併合がもたらしたもの 「東京イラスト写真日誌(2010.9.8)」より +【図】韓国人口推移 【朝鮮民族抹殺計画】 ■ [きっぱり敵国・なぜかトーンダウン] 韓国歴史教科書、「日本の朝鮮民族抹殺計画の中で強制的に慰安婦にされた」⇒「日本が政府主導で女性を慰安婦にした」に修正 [ウリナラ・ファンタジー] 「memo(2015.4.12)」より / 14 : 丶`∀´ (´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載は禁止 [↓] :2015/04/08(水) 06 44 51.69 ID v0+ZguRS そもそも朝鮮人抹殺計画を実行してるんなら ハングルも朝鮮人も今存在してないんだけど 自己矛盾には気付かない振りで、日本の責任で対抗するの?無茶にも程があるけど 19 : 丶`∀´ (´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載は禁止 [↓] :2015/04/08(水) 06 46 40.44 ID Kidjm28C さすがに民族抹殺計画と慰安婦をつなげる作文に無理があることに気が付いたか 27 : 丶`∀´ (´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載は禁止 [↓] :2015/04/08(水) 06 49 01.21 ID wIOq9Pio (2/2) 朝鮮抹殺計画があるなら半島で大量殺人でもあったの? 聞いたことないよね 慰安婦も売春婦だし 大量殺人は独立後の朝鮮人同士の内輪もめだし 31 : 丶`∀´ (´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載は禁止 [↓] :2015/04/08(水) 06 50 33.07 ID CnpvzgTA 朝鮮民族抹殺計画なんて今まで韓国政府主導で教えてたのかよ ーーーーー ■ 【ヘイトビジネス】日本憎悪増幅装置「朝鮮民族抹殺計画」韓国教科書より記述削除される 「Birth of Blues(2015.4.12)」より / 韓国の打たれ弱さを証明する事案発生。アベシンゾー恐るべし。 日本人慰安婦に冷淡な朝日新聞やTBS、民主党、社民党、しばき隊など良心的表見日本人が口角泡を飛ばす日本人邪悪論及び、歴代青瓦台が涙を流し訴える日帝強占期前の朝鮮歴史焚書、創氏改名、漢字強制教育、廃仏毀釈、文化財強奪、200万朝鮮女子挺身勤労令、朝鮮婦女子20万人集団レイプ殺害、呪いの杭、旧朝鮮総督府による日帝風水謀略説、サイモン・ウィーゼンタール・センターと従軍慰安婦被害団体の反ジェノサイド共闘宣言、クネ姐1000年間謝罪と賠償など、我々が理解できない事象の答えは全て「朝鮮民族抹殺計画」の中にあるのでしょう。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ★ 韓国の中学校歴史教科書、慰安婦の「日本政府による強制性」強調へ―中国メディア 「Yahoo!news-Record China(2015.4.8)」より / 2015年4月7日、中国新聞社によると、韓国教育省は6日、中学校教科書に盛り込まれる「慰安婦」と「独島(日本名・竹島)」についての記述を「日本政府による強制性」を強調する方向で修正すると発表した。 同省は6日発表した「日本の教科書問題への対応計画」によると、慰安婦については従来の「日本の朝鮮民族抹殺計画の中で強制的に慰安婦にされた」を、「日本が政府主導で女性を慰安婦にした」と修正する。同省が発表した声明では「正確な歴史観や判断能力の確立していない学生は、歪曲された歴史観に負けてしまう。ひいては北東アジアの平和を脅かし、批判を受けることになる」と主張。「日本の文部科学省に侵略の歴史を深く反省し、誤りを正すよう促す」としている。 韓国外交省は6日、日本の中学校教科書検定結果で、竹島(韓国名・独島)についての記述を「韓国固有の領土に対する不当な主張を強め、明白な歴史的事実を歪曲した」などと非難。趙太庸(チョ・テヨン)・第1次官が日本の別所浩郎・駐韓国大使を外交省に呼んで抗議していた。(翻訳・編集/大宮) .
https://w.atwiki.jp/dangerousssig/pages/22.html
放火しに来ましたーズ 今生 火友 ■キャラクター名:今生 火友 ■ヨミ:コンジョウ ヒトモ ■性別:女 ■武器:火。ライターやマッチなどを大小さまざま全身に持っている。今回は気合を入れて油などの可燃物をたっぷりリュックに詰めてきた。腰のポーチの中では常に火が燃えている。 特殊能力『友なる炎(フレンドリーファイア)』 今生火友の魔人能力。火を味方にする能力。火友の周囲約30m内か、その外部であっても火友が認識した火は、火友の「ともだち」になる。 「ともだち」になった火は、自律的に意思を持って動き回り、火友を献身的に支援する。自律的に意思を持つというのが妙で、基本的に火友のいうことを聞くが、火友の認識外の出来事にも対応したり、あるいは火友自身の意思さえ無視して行動しうる。しかし火なのであまり頭はよくない。大体はまっすぐ標的に突っ込んで燃やそうとする。例 火友が気づいていない後方からの攻撃を迎撃する、水中の敵にも突っ込んでいく など 設定 「今日はいっぱい燃やすぞぉ!」火と放火が三度の飯より好きであり、この世の火という火に友情じみたものを感じるというクレイジーだけど意外と順法精神はある元気印ニコニコ笑顔の15歳少女。 黒髪ボブカット丸顔。目がしいたけ。小柄。胸は着痩せ。 放火が好きと言っても火が燃えまくるのが好きなのであって人を焼き殺したいとか考えているわけではない(と本人は認識している)。それはそれとして町中火の海にしたいとは思っている。普段は花火とかで我慢。まだ前科はない。 戦闘は基本的に『友なる炎』に任せきりで本人のフィジカルは多少運動神経が良い程度の一般15歳女子。メンタルの強さと勘の良さは素質がある。 放火しまくりたいけどなぜこの国では放火が法で禁止されているんだ!と思っていたところイグニッション・ユニオンの話を聞き放火しまくるべく参戦。つまりエンジョイ勢。優勝した暁には5億円の力で放火し放題の場所(?)を作ろうとぼんやり考えている。最強の称号とかには全然興味がない。 自分の能力で動かした火をコンビと言い張って参加しようとしたが、当然認められずに困っていたところ、偶然にも呪物ゴーレムをひろって参戦。コンビ名は彼女の独断。ネーミングセンスはお察し。イグニッション・ユニオンではもともと誰と組むのかをまったくかんがえていなかったのもあり、呪物ゴーレムとの連携があまり考慮に入っていない。 呪物ゴーレム(仮称) ■キャラクター名:呪物ゴーレム(仮称) ■ヨミ:ジュブツゴーレム(カショウ) ■性別:なし ■武器:全身を構成する呪物、および体格を生かした格闘 特殊能力『全身呪物(仮称)』 全身が多種多様な呪物で構成されている。(もしかしたら関係者にゆかりのあるものもあるかも?) 呪物のバリエーションは極めて多岐にわたるが、いずれも人に対しては有害な品であることは共通している。 呪物ゴーレム自身は自らを構成する各々の呪物がどのような性質のものかを認識しており、どのように利用すればよいかも知っている。 しかしほとんどの呪物は封印されており、使用不可能、あるいは弱体化した状態になっているが、戦闘で封印が傷つくなどして一部緩み、使用が解禁されることは大いに考えられる。呪物ゴーレム自身に封印を解くことはできないが、相手の攻撃を利用することはあり得る。 またその性質上心臓部や弱点というものが基本的に無く、多少の損傷は意に介さない。 設定 「呪いには呪いをぶつけんだよ!」理論の果て、ある並行世界で大量の多種多様な呪物を呪いと呪いをぶつけ合わせて一緒にして封印しようとした結果、怨霊やらインテリジェンスウェポンやらの知性が合体、約3mくらいのヒト型になって動き出して制御できなくなったので異世界(こっちの世界)に不法投棄されたもの。 外見は大量の多種多様な物品がお札やら鎖やら包帯やらでまとめられて、ヒト型をとっているように見える。 呪物自体の封印は成功しており、本人(?)にも人に危害を加える気はないので基本的には無害。しかしうかつに攻撃したりして封印が解けた場合はその限りではない。頑丈な封印なのでいきなり全部解けるようなことはそうそうないだろうが。 動きは鈍いが、力は強い。また、しゃべれないがかなり知識が豊富であり、機転も効く。 不法投棄されてとくにやることもなくぼんやりしていたところ、本人の人格を構成するインテリジェンス呪物の一つ(何らかの火属性を帯びた品)が『友なる炎』の効果範囲にひっかかり、火友の参戦に手を貸すことにした。 『友なる炎』の性質と本人の特殊な意識構造により、火友を助ける理由としてはそれだけでは薄いのだが、ではなぜ参戦したのかというと結局は「暇だから」。 戦闘では『友なる炎』の影響もあってか、火友のフォローに回ったりすることが多い。 プロローグSS
https://w.atwiki.jp/monaring/pages/789.html
朝鮮人の発見 白 インスタント クリーチャー1体を対象とする。朝鮮人の発見は、それにエンチャントされているすべてのエンチャント を破壊する。 第6版のカードで 暫定選定リストにも収録された。
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/846.html
前半は、李氏朝鮮参照 開国圧力と大韓帝国 - 高宗時代前期~中期 59年間に渡る安東金氏による勢道政治は、王権の弱体化と王朝の混乱を生じさせた。王族は直接政治へ関与できなくなっていたために、手をこまねいているしかなかったが、その中から安東金氏より権力を取り戻そうという動きが出てくる。1863年に第26代王高宗が即位するまで、依然、朝廷の権力は安東金氏が掌握していた。憲宗の母である神貞王后(趙氏)とTemplate lang?応(Template lang?は日の下に正。興宣君)は、この権力構造を打ち破り、王権を取り戻そうと策を巡らせていた。Template lang?応は、安東金氏の目をそらすために安東金氏一門を渡り歩いて物乞いをするなどし、安東金氏を油断させる事で護身を図った。やがて哲宗が重病に陥ると、自らの次男の聡明さを喧伝し、哲宗が亡くなると神貞王后と謀り、自分の次男を孝明世子(翼宗)の養子とし、そのまま高宗として即位させた。神貞王后が高宗の後見人となり、李昰応は大院君に封ぜられ(興宣大院君)、摂政の地位についた。このとき高宗は11歳であった。 興宣大院君が摂政になるとまず行ったのは、安東金氏の勢道政治の打破であった。安東金氏の要人を追放し、党派門閥を問わず人材を登用し、汚職官僚を厳しく処罰するなどして、朝廷の風紀の乱れをただす事に力を入れた。また税制を改革し、両班にも税を課す事とし、平民の税負担を軽くした。 一方で、迫り来る西洋列強に対しては強硬な鎖国・攘夷策を取った。この極端な攘夷策が、後の朝鮮朝廷の混乱の遠因となってしまう。まずカトリックへの弾圧を強化し、1866年から1872年までの間に8千人あまりの信徒を殺害した(丙寅教獄)。この折のフランス人神父殺害の報復としてフランス政府は、1866年、フランス軍極東艦隊司令官のローズ提督は戦力のほぼ全てを投入して(軍艦7隻、兵約1300名)して江華島の一部を占領し、再度の侵攻で江華城を占領する。しかし首都漢城へ進軍中に発生した2つの戦闘で(文珠山城戦闘、鼎足山城戦闘)で立て続けに敗北したフランス軍は漢城への到達を諦め1ヶ月ほどで江華島からの撤退を余儀なくされる(丙寅洋擾。擾は手偏に憂)。 一方、この事件の2ヶ月前にはアメリカ商船ジェネラル・シャーマン号が通商を求めてきたが、地元の軍と衝突し、商船は沈没させられてしまう(ジェネラル・シャーマン号事件)。アメリカは同事件を機に朝鮮へ通商と損害賠償を求め、1871年には軍船5隻を率いて交渉に赴いた(辛未洋擾)。この交渉が朝鮮側の奇襲攻撃によって拒絶されるとアメリカ軍は江華島を占領し、通商を迫った。しかし大院君の強硬な開国拒絶により、アメリカ軍は1ヶ月で交渉を諦め撤退する。 大院君はこれらの成功を以って、さらに攘夷政策を強化するが、1866年になると王宮に入った閔妃の一族や大臣達が、大院君の下野運動を始める。1873年、閔妃一派による宮中クーデターが成功、高宗の親政が宣言され、大院君は追放される。一方で政治体制は閔妃の一族である閔氏が政治の要職を占める勢道政治へと逆戻りしていった。これ以後大院君は、政治復帰のためにあらゆる運動を行う事になり、朝廷の混乱の原因の一つとなった。 閔氏一族は、大院君の攘夷政策から一転し開国政策に切り替える。1875年には日本軍が開国を求めて江華島に侵入してきた。開国派が主流をなした閔氏政権は、1876年に日朝修好条規(江華島条約)を締結する。それに引き続いて、アメリカ(朝米修好通商条約)、フランス、ロシアなどとも通商条約を結ぶ事になる。 一方で、開国・近代化を推し進める開化派と鎖国・攘夷を訴える斥邪派の対立は深刻になっていた。 また、日本から顧問を呼び近代式の新式軍隊の編成を試みていたが、従来の旧式軍隊の扱いがなおざりになり、給与不払いや差別待遇などが行われていた。これらに不満を持った旧式軍隊は、大院君・斥邪派の煽動も有って、1882年閔妃暗殺を狙い、クーデターに動いた(壬午軍乱)。この軍乱で一時的に大院君が政権を掌握するが、閔妃は清の袁世凱に頼みこれらの軍を排除、大院君は清に連行された。壬午軍乱により閔氏政権は、親日政策から親清政策へ大きく転換する事になる。この政策は親日開化派の不満を招き、また朝鮮の軍隊は清と日本の干渉により有名無実化していく。また混乱から国内では反乱が生じる。 1884年12月、金玉均、朴泳孝ら開化派(独立党)がクーデターを起こし、閔氏を排した新政府を樹立するものの、袁世凱率いる清軍の介入により3日間で頓挫、金玉均らは日本に亡命した(甲申政変)。また1894年には東学党の乱(甲午農民戦争)が勃発する。東学党の乱が勃発すると、親清派の閔氏勢力は清に援軍を求め、一方日本も条約と居留民保護、列強の支持を盾にこの戦争に介入した。東学党の乱は2国の介入により、官軍と農民軍の和議という形で終結するが、清軍と日本軍は朝鮮に駐屯し続けた。日本は閔氏勢力を追放し、大院君に政権を担当させて日本の意に沿った内政改革を進めさせた。しかし、攘夷派であった大院君はもはや傀儡に過ぎず、実際の政治は金弘集が執り行っていた。なお東学党の乱に先立つ1894年3月28日、金玉均が上海で閔氏勢力の差し向けた刺客により暗殺されている。 その後東学党の乱の鎮圧に朝鮮政府が清に援軍を要請し、それに対抗して日本が朝鮮に出兵を行ったことから日清戦争が勃発し(1894年-1895年)日本軍の勝利に終わると、下関条約により、朝鮮と清の冊封関係は終り、日本の影響下におかれる。一方、朝鮮での立場が弱くなった閔妃はロシアに近づき、親露政策を取る事になる。これにより朝鮮人と日本人の手で1895年10月に閔妃が惨殺される(乙未事変)。 自分の后が暗殺されるという事態に直面した高宗は恐怖を感じ、1896年、ロシア領事館に退避する(露館播遷)。1年後高宗は王宮に戻るが、これにより王権は失墜し、日本とロシアとの勢力争いを朝鮮に持ち込む結果となった。1897年、朝鮮は大韓帝国と国号を改称し、元号を光武とした。日本は朝鮮の保護国化と主権剥奪の路線を進めていく。 日本による保護国化から併合-高宗後期~純宗時代 1904年になると、日露戦争が勃発し、日本側の勝利に終わる。1905年には軍事力を背景とした日本側の威圧のもとで第二次日韓協約が締結された。日本は朝鮮の外交権を接収し、内政・財政に関しても強い影響力を得て朝鮮の保護国化を推し進めていく。これら一連の主権接収の責任者となったのは伊藤博文であった。一方、高宗も1907年オランダのハーグに密使を送り、列強に保護国化政策の無効化を訴え出るが(ハーグ密使事件)、アメリカ、イギリスともに日本の保護国化政策を認めていたため、この主張は認められなかった。これらの動きに対し李完用などの親日派勢力、及びその後ろ盾である韓国統監伊藤博文は日本の軍事力を背景に高宗に譲位するよう迫り、同年退位することとなった。代わりに最後の朝鮮王、大韓帝国皇帝である純宗が即位した。 1906年、日本は韓国統監府を置き、伊藤博文を初代統監とした。これに続き日本政府内では最終的な併合の時期をめぐって話し合いがもたれた。元老でもあり日本政界に発言力を持っていた伊藤博文は早期併合派に対して異論を唱え、当初は早期併合には反対の姿勢をとった。彼が早期併合に反対する理由として述べたのは、 現在の保護国化状態でも実質的には併合した場合と同じく朝鮮を支配でき、又韓国侵出の口実として用いてきた『韓国の独立富強』という建前を捨てることは却って益なしである。 上記の理由に加え、財政支出の増大を招くことからも早期併合は勧められず、今は国内の産業育成に力を注ぐべきである。 ということであった。 しかしその後、韓国国内での義兵闘争はますます苛烈となり、また朝鮮宮廷の懐柔も伊藤が想定したほどの効果は上がらなかった。業を煮やした伊藤は自分の取った方針が不適切だったと感じ、遂に1909年7月6日の閣議で他の閣僚の進言を受け入れ積極的併合策への転向を明言したTemplate 要出典?。韓国侵出の実質的な総責任者であった伊藤の方針転換により韓国併合への障害は無くなり、同会議で日韓併合が正式決定された。1909年10月26日に伊藤博文は安重根によって暗殺されたが、既に韓国併合の流れは決定的なものとなっていた。日本政府は韓日合邦を掲げる韓国一進会や日韓併合派の李完用とともに交渉をすすめ、1910年8月22日、日本の軍隊が王宮を取り囲み、反対派を威圧するという厳戒状態の中日韓併合条約は締結された。ここに韓国は日本に併合され、地域名を示す朝鮮と改称した(したがって、植民地に適用されないと条文で明記されている条約等は、当時の日本政府の解釈により、朝鮮には適用されていない)。これにより、518年に及ぶ朝鮮王朝は滅亡した。 政治 国王 朝鮮の国王は、全州李氏の出自である初代国王李成桂の子孫(李王家)によって世襲され、国号を大韓帝国と改めた高宗までの間に26代を数えた。中国に倣った朝鮮の国制によれば国王は国家の最高権力者であるが、明では廃止された合議制による宰相の制度があり、中国ほど徹底した専制制度ではない。 Template See also? 官制 官の上下関係は、中国に倣った官品制をとる。それぞれの官には対応する品が定められ、品は一品を最上位とし、以下、二品、三品、と一品から九品までの九階に分かれていた。各品には正と従の区別があり、正一品の官が最上位、従九品の官が最下位となる。その中で正三品は堂上と堂下に別れ堂上官は王宮に上がり王と対面する事が可能だった。一般的に高官と呼べるのは従二品以上であり、品階により、住居・衣服・乗り物などに差が付けられていた。これらの官職は常時改変が為されていたが正式にまとめられた形で出てくるのは世祖時代の『経国大典』による。 官は、大きく内府である女官の内命婦、外府である京官職および外官職に分かれる。また、王族女子・功臣・文武官の妻に対する官位(外命婦に属す)もあるが、名目上のものであった。それ以外では、中国からの使節の応対を行う非常勤職の名誉職奉朝賀、宮殿の内侍を行う内侍府(大抵、宦官が職務に付き王の身の回りの雑務を行う)、雑役に従事する雑職などがあった。 王朝に使える諸官は科挙を通じて、文官は文科、武官は武科によって選抜され、武官は文官に比べて常に低くおかれていた。また中人階級が付ける技術職は更に下に位置し、雑科によって選抜された。特に李氏朝鮮初期の王子達の私兵による争いの後は、武官・軍事に関しては厳しく管理されていた。また、各官府には官職・官位の上限があり、決められた品以上に就くことは出来なかった。 王族は宗室と呼ばれ、自動的に京官職の宗親府に属する。宗室も一般の官と同様に正一品が最上位になるが、王の子(大君・王子君・公主・翁主)は位階制度の上にあって品を持たない。宗室において最も上の官職は君と呼ばれ、正一品から従二品が与えられる。外戚や功臣なども忠勲府に属し、最高位を正一品とした官職が自動的に与えられた。忠勲府の最高位は府院君であり、次が君である。従って君と言う称号は王子・王族の事を差す訳ではない。 行政の最高機関は議政府であり、基本的に文官のみが付くことが出来た。議政府の最高位は正一品の領議政であり、その下に同じく正一品の左議政と右議政が居た。他の正一品の官職には各院・各府の都提調・領事などがある。 議政府の次に位置するのが正二品の判書であり六曹の大臣やその他の官衙長官の職務を担当し、判書を補佐するのが従二品の参判や、正三品堂上の参議であった。 また、功臣の子弟や外戚は成年すると自動的に忠勲府や宗親府に配された為に科挙を受けずとも官品を受けることが可能であり、まず役職を授かってから科挙を受け、官僚になることが多かった。 首都 当初は高麗を踏襲して開城を首都と定めていたが、間もなく漢陽(漢城、現在のソウル)へと遷都が行われた。その後、王子の乱等によって生じた混乱から、開城と漢陽を行き来していたが、第3代太宗以降は漢陽に落ち着く。 李氏朝鮮末の漢陽の人口は約25万と推定されている。儒教思想により、王宮より高い建物を建てることはできず、街には2階建ての建物は存在していなかった。風水思想とオンドルの効果を高める為に半階建てとも言える低い家が建てられていた。漢陽内の土地は全て国の所有物であり許可無く建物を建てることができず、階級・派閥によって居住区が指定されていた。 首都内に土地を借り、建物を建てる許可を得るには年月がかかるため、民間人による街路の占拠が盛んに行われ、仮屋と呼ばれる建物により道幅は非常に狭くなっており、商店の建ち並ぶ通りは雑然とした雰囲気に充ちていた。 また汚水処理の施設や対策は1905年の第二次日韓協約の直前の10月までに行われず、韓国政府と皇太子(後の大正天皇)の寄付をもってようやく本格的に公衆トイレの設置と道路の清掃作業が行われるようになった。それ以前の漢陽は道路も河川も汚物に汚れるに任せていた。19世紀初めのロンドンの下町では、アパートの上層の住民が排泄物をおまるで路上にぶちまけるので、常に頭上を注意しなければならなかったという逸話があるが、そのイギリス人で開国後の李氏朝鮮を旅行したイザベラ・バードや、李氏朝鮮末期の開国前にキリスト教布教に携わった宣教師などの西洋人ですら、漢陽(現在のソウル)を世界でも指折りの不衛生な都市と指摘している。 地方行政 朝鮮八道という、大きく八つの道に分けて行政を行った。なお、現代の北朝鮮・韓国の行政区分もこの朝鮮八道を元にしている。また、首都ソウルと開城・江華・水原・広州の4都は直轄地とされ京官府に属し、ソウルは漢城府が、四都は各府の留守職がこれを治めた。 朝鮮八道 咸鏡道 (咸鏡北道・咸鏡南道・両江道の一部・羅先直轄市 北朝鮮) 平安道 (慈江道・平安北道・平安南道・両江道の一部・平壌直轄市・新義州特別行政区 北朝鮮) 黄海道 (黄海南道・黄海北道 北朝鮮) 江原道 (江原道 韓国 / 江原道・金剛山観光地区 北朝鮮) 京畿道 (京畿道・ソウル特別市・仁川広域市 韓国 / 開城直轄市・開城工業地区 北朝鮮) 忠清道 (忠清北道・忠清南道・大田広域市 韓国) 慶尚道 (慶尚北道・慶尚南道・釜山広域市・大邱広域市・蔚山広域市 韓国) 全羅道 (全羅北道・全羅南道・光州広域市・済州特別自治道 韓国) 対外関係 中国との関係 日清戦争に至るまで500年に渡り、李氏朝鮮は中華王朝たる明および清の冊封体制の中にあり、中華王朝に事大の礼をつくしていた。朝鮮の君主は中華王朝の皇帝を世界でただひとりの天子として敬い、皇帝に対する朝貢や、朝鮮に対する使節の歓待を礼を尽くして行い、「東方礼儀之国」と呼ばれた。このような思想を朝鮮の人々に浸透させるイデオロギーとして儒教が活用され、儒教の本場として中華王朝には敬意が払われた。とくに日本軍の侵攻に際して明が援軍を出して助けたことは「再造の恩」と呼ばれ、17世紀には実力で屈服させられている清よりも恩のある明を敬うべきとする議論がなされる。 事大主義をとっていた李氏朝鮮では、中華王朝の人間は例え犯罪者でも裁くことができず、本国へ丁寧に輸送すべきものとされていた ref name=book 村井章介『中世倭人伝』。そのため後期倭寇最盛期には明人倭寇を討ち取ってしまい処罰される者が出るほどであった朝鮮王朝実録 明宗21年7月辛卯。 朝鮮が朝貢していた明や清の皇帝からはしばしば使節が派遣されるが、このとき朝鮮王みずからが皇帝の勅使を歓待して、皇帝に臣従する意を確認する儀礼が行われた。この儀礼のために漢城の郊外につくられたのが慕華館・迎恩門であり、国王は使節が漢城に至ると慕華館で出迎えて礼を尽くす慣わしであった。後に李氏朝鮮と清の冊封関係が終わると、慕華館は独立館となり、迎恩門は破壊された(後述)。 中国以外の国との関係 中国以外の国や民族に対しては、自身を中華世界の上国として位置付け、交易や政治関係において朝鮮国王への服従を要求する擬似朝貢体制をとった。明が滅び清が興ると中原の中華文明は滅んだとみて、朝鮮が中華文明の正統な継承者だと考えるようになった。いわゆる小中華思想である。 南の日本人に対しては、倭寇を防ぐために、交易を認めた者も倭館と呼ばれる居留地への居住を義務付け、きびしく取り締まった。倭館ははじめ富山浦(釜山)、乃而浦(鎮海)、塩浦(蔚山)の三浦にあり、三浦倭館と呼ばれたが、1509年に起こった三浦の乱やその後の倭寇事件で釜山一港に限定された。また1592年に勃発した文禄・慶長の役によって日朝の国交は断絶したが、財政の存立を朝鮮貿易に依存していた対馬藩の必死の努力によって1607年日朝の国交が回復し、釜山に倭館新設も認められた。日本使節のソウル上京は認められなかったが、将軍の代替わりを祝賀する朝鮮通信使が江戸を訪問し、対馬藩による釜山貿易も江戸時代を通じて続いた。朝鮮国王と日本の将軍の関係は、室町時代に足利氏が明から日本国王として冊封されたこともありおおむね対等として扱われたが、対馬藩主の宗氏は朝鮮に対して朝貢に近い服属儀礼を要求され、釜山の倭館では国王に対する拝礼の儀式が行われていた。 Template Main? また、半島の北の満州(マンチュリア)に住んでいた女真人との交易も行われていたが、彼らは日本人以上に組織化されていなかったこともあり、より朝貢に近い儀礼関係を結ばせていた。しかし、女真は同時に明に対しても服属していたため、朝鮮が女真に対して朝貢させていたことを明が咎めたこともある。朝鮮政府は女真を「胡」だとして「オランケ」と呼び、蔑視の対象にしていた。それだけに、17世紀に女真の建てた後金(のち清)に武力で服属させられ、さらに清に明が滅ぼされたことは朝鮮の思想界に大きな衝撃と影響を残すことになる。 このような状況であったため、西欧人に対する反発はより強く、中国と日本、それに琉球王国などを除けば長く鎖国状態であった。朝鮮にとっては、西洋人は「禽獣」であって人間としても扱われなかった。 近代の外圧 19世紀末期になると、朝鮮は西洋諸国や日本からの介入を受けるようになるが、とりわけ日本の干渉は日清戦争・日露戦争を通じて随一のものとなり、最終的に朝鮮を植民地化するに至る。朝鮮は、西洋化を推し進めた日本人のことを「禽獣の服を着、禽獣の声を真似する」とまで侮蔑するようになった。 日清戦争において日本が清を朝鮮から駆逐すると、日本と清の間で締結された下関条約によって朝鮮と清との伝統的宗属関係は終りを告げた。その象徴としての迎恩門も破壊され、代わりに独立門が建てられた。朝鮮は日本の強い影響下に置かれるが、みずから皇帝を称する大韓帝国に国号を改めるなど自主独立の道を探る努力も続けられた。しかしその後も日本の強い干渉や日露間の対立などに巻き込まれ、最終的に1910年に朝鮮は日本に併合され植民地となった。 社会階層 朝鮮の社会は、中国式の戸籍制度によって社会階層は細分されていた。 戸籍上の身分は、当初は良民と賤民(奴婢・白丁)に大きく分かれていただけであったが、良民の中でも科挙を受けられる余裕を持つ階級とそうでない階級に次第に分化していった。その結果、良民は両班(科挙官僚を輩出する階層)・中人(技術職を輩出する階層)・常人(一般の農民)と言う3つの階層に細分化される。 儒教を尊び、仏教を弾圧していたため、僧侶や工人、商人などは常人より低い地位に置かれていた。さらにその下層にある賤民階層は、李氏朝鮮初期の比率で人口の30%程度ほどを占めた。 社会階層は完全に固定されていたわけではなく、例えば中人から両班に上昇する家族もあったことが分かっている。事実、19世紀後半には両班の占める割合が70%に達した地域もあった。 民族構成 民族面では、建国の時点で朝鮮国内の北部にかなりの数の女真人が住んでいたが、李氏朝鮮王朝は彼等を国民として正当に扱うことはなく、国外の女真と同じように激しい蔑視や差別、迫害の対象であった。彼らは朝鮮政府と国外の女真との関係が悪化すると追放されることもあったが、次第に朝鮮人へ同化させられていったと思われ、この過程に於ける混血や言語的影響については詳しいことは分かっていない。朝鮮末には朝鮮民族の均質化が進み、19世紀には逆に朝鮮民族が国境を越えて清やロシアの領域に移住していった。このような民族均質化の結果、王朝末期から現在にかけての朝鮮・韓国社会で少数派の民族コミュニティを形成しているのは華僑のみとなっている。なお現在の北朝鮮はしばしばナショナリズム高揚のため、「単一民族国家」を強調しており、韓国でも保守派、民族主義者を中心に根強く「単一民族国家」という意識が残存している。 経済 朝鮮半島では、李氏朝鮮王朝の時代になるとそれまで進展していた経済の発展にきわめて強い規制がかかった。朝鮮王朝のイデオロギーである儒教主義では商人は極めて卑しいものとされたためであった。そのため本格的な貨幣制度がなかなか定着しなかった。李氏朝鮮王朝も何度か貨幣制度の導入を行ったものの、商人を卑しむ儒教イデオロギーを無傷で温存したため根本的な解決はできなかった。 第4代世宗の時代に入り、金属貨幣である「朝鮮通宝」が発行され、本格的な貨幣経済への重要な一歩を示したが、流通量は少なく、秀吉の侵略や清の侵攻で国内の産業基盤がズタズタにされたことで意図したほどの効果は上がらなかった。17世紀後半に至って「朝鮮通宝」の代わりに「常平通宝」を鋳造し、再び貨幣経済を振興させようとするが、金銀などを使用した高額貨幣の流通は余りにも微少だった。また造幣を行う役人によって銅が横流しされ、その分を鉛で補っていたために市中でも貨幣に対する信頼度は低かった。 とはいえこのような制約の中でも李氏朝鮮王朝後期の18世紀、19世紀には商人階級の勃興と富の蓄積、また両班の地位を金で購入することなどが広まり、朝鮮の商業は大きな進歩を見せた。しかしその後も支配者層の儒教イデオロギーに基づく介入が相次ぎ、また19世紀初期の飢饉や反動政治などもあって、朝鮮における商業の発展は非常に障害が多かった。その発展度は日本、中国に遠く及ばなかった。李氏朝鮮末期に至っても物々交換は完全になくなったわけではなく、村落部を中心に残存していた。李氏朝鮮末期に至り西洋、中国、日本などの銀貨が流通し始める事によって、交易を行う釜山などを中心とした高額貨幣の流通量が増大するが、それまでは極端な場合100円銀貨に相当する貨幣を運搬するのに馬1頭を使わなければならないこともあるなど、非常に不便を強いられていた。工業においても商業と同様、人を雇って分業で何かを生産するような企業は全くの未発達で個人や家族での活動に限られていた。 李氏朝鮮時代の交易は、中国との朝貢貿易、対馬を介した日本との交易、琉球との交易が中心であった。中国の朝貢貿易の主力は朝鮮人参、貂皮、海獺皮、昆布、日本から輸入した銀などであり、代わりに塩・生糸・絹織物などを輸入していた。対馬との交易は、中国から輸入した生糸や絹織物、木綿、朝鮮人参、穀類などを輸出し、代わりに銀や銅を大量に輸入していた。対馬との貿易のピークは18世紀中頃であり、金額ベースで、日清・日蘭貿易をしのいでいたと言われる。しかし、日本銀の生産量が激減すると江戸幕府は中国への銀輸出を規制すると共に自給自足政策を奨励したため、17世紀後半には木綿は自給できるようになり、また生糸、朝鮮人参に関しては18世紀後半に自給体制を整えたために朝鮮から日本への輸出品目から外れた。また、1750年には朝鮮への銀輸出禁止令が江戸幕府から発布され、対馬との間の交易は以後限定的なものとなった。 文化 李氏朝鮮の文化政策は、一言でいえば儒教の一派である朱子学を尊重し、仏教を弾圧したと説明される。しかし、太祖・李成桂が仏門に帰依していたため、本格的な廃仏運動が始まるのは第3代太宗の代からである。この時、朝鮮半島では多くの仏教寺院が廃され、242の寺のみが国家の統制下に残された。第4代世宗の時代にはさらに厳しくなり、寺院の数はさらに減らされ、仏教寺院が所有していた土地や奴婢の多くが没収された。このため、高麗時代の仏教遺跡が破壊されたり、仏像や文化財などの多くが海外へ流出した。たとえば、太宗時代に土橋の代わりに石橋を造ることになったが、十二神将の石仏を破壊し、その石材にするということを行った。 ただし、李氏朝鮮前期の廃仏政策は一貫性が無く、廃仏に積極的だった世宗は末期には仏教に帰依してしまう。また第7代世祖は、儒臣との対立から仏教を返って保護し、ソウル内に円覚寺と言う寺を建てた。この寺は、第10代燕山君の時代に破壊され、妓生を管理する建物に建て替えられている。第8代睿宗の時代には再び廃仏政策は強化され、第11代中宗時代は李氏朝鮮前期で最も仏教弾圧が厳しい時代であったが、中宗の3人目の王后である文定王后尹氏は仏教を信奉し、中宗亡き後の時代には外戚と共に王権を執権していたため、彼女の息子が王位についていた第13代明宗の時代には廃仏政策は緩み、仏典のハングル訳が出版されたり、仏教の復権に努めた。しかし、時流は完全に廃仏に流れており、仏教の復権は失敗に終わった。李氏朝鮮初期の崇儒廃仏政策はこの様に一貫せず一進一退を繰り返すが、第16代仁祖の時代に城内からの僧侶追放令が発せられ、ここに李氏朝鮮の廃仏政策は完成に至る。 そして各種書籍の編纂事業が国策事業として推進され、印刷術と製紙術がかなり発展した。第3代太宗の時代には活字を作って書籍の印刷を担当する官署である「鋳字所」を設置して、高麗時代に中国から伝わった金属活字を改良して他の国より2倍以上の印刷能率を持つようになった。それに多くの書籍が出版されるに伴ない、紙の生産量も増加して、質の良い紙を専門的に生産する「造紙署」を設置し多様な紙を生産した。 李氏朝鮮は朱子学を社会的理念として採択しながら儒教的秩序を確立するために、倫理と儀礼に関する書籍を多く編纂した。第4代世宗の時代には人々に模範となるべき忠臣、孝子、孝女の業績に関して記録した倫理書である『三綱行実図』を編纂した。また第9代成宗の時代には国家のさまざまな行祀に必要な書籍を整備して書籍書である『国朝五礼儀』を編纂した。16世紀には士林派が小学と朱子家禮の普及するために『二倫行実図』と『童蒙須知』などを刊行して普及した。『二倫行実図』は年長者と年少者、友達に対して守らなければならない礼節を強調した倫理書であり、『童蒙須知』は児童が守らなければならない礼節を記録した児童用倫理書だった。これらの書籍は全て李氏朝鮮の役所の校書館が発行したものだった為、出版部数が極めて少なく李氏朝鮮の書物は大変な貴重品だった。李氏朝鮮では末期になるまで書店が存在せず書籍を売買する事が出来なかった、書籍は王から賜っり先祖代々受け継がれた物か個人から譲り受けた物だった。 公的な文化の中心となるのは中国語の文語である漢文であり、朱子学を中心として陽明学などを取り入れた朝鮮独自の朝鮮朱子学(朝鮮性理学)が発達した。漢字のみでは朝鮮語をあらわすことはできないため、朝鮮語を記すために1443年にハングルの起源になる訓民正音が作成された、ハングルは朝鮮語の表記に適した科学的な文字であっが、中華思想に骨の髄まで支配された両班ら男性知識人はこれを諺文(オンムン)と呼んで蔑み、李氏朝鮮末期まで正規の文字として使われることはなかった。しかし李朝末期には民衆の文字として下層階級、婦女の間に広まり、急速に識字率の向上に寄与した。庶民はこの文字を使い詩や歌を記録し、また私文書に使用した。知識人の中にもハングルを使うものが現れ、朝鮮王朝文学の最高峰とも呼ばれる『春香伝』などが書かれた。ハングルを使用した文学には、漢字ハングル混用、ハングル専用の2種類があり、前者は主に革新的な両班、中人階級用。後者は庶民のための文学だった。 李氏朝鮮は漢城に国立教育機関である「成均館」を設置、現在の大学のような役目を果たした。そして現在の中学校及び高等学校の役目をする教育機関として、漢城には「四学」、地方には「郷校」を置いた。また小学校に該当する「書堂」もあった。一方地域ごとには偉いソンビや功臣の業績を称頌と崇拜するための学院である「書院」が設立され、儒生らは自分が属した書院に集まって勉強と討論をしながら自分たちが仕える英霊に祭祀をして地域住民らを教化する仕事をした。 李朝絵画は前半期には中国山水画の模倣だったが、18世紀後半に金弘道と申潤福が出て独自の境地を開いた。金弘道は風俗山水画、申潤福は風俗画や美人画を得意とした。磁器は、朝鮮白磁と呼ばれる磁器が作られており、前代の高麗青磁に比して華麗さでは見劣りしたが優美さでは先んじていた。李朝時代に白磁が尊ばれたのは朱子学で白が高貴な気高い色とされているためである。しかし、赤土しか産出できない地域も当然ある。「なんとか白い器が欲しい…」そうした人たちが生み出したのが粉引(粉吹)である。粉引とは、赤土で成形された作品に化粧土という泥を塗り、その上に透明の釉薬をかけ、還元焼成する(酸化でも可)。李朝の粉引は日本に伝わり、酒器として大変高い評価を得た。李朝陶磁器は儒教道徳を名目とした職人階級に対する非常に厳しい差別にも関わらず、優れた職人の存在により着実な進歩を遂げた。 医学分野では高麗の医学の伝統をそのまま受け継いだが、徐々に医療制度の改革、医学教育、専門医学書編纂を通じて東洋医学の集大成を成した。漢城には王族の疾病治療を担当する「内医院」、医学教育と医学取才を総括する「典医監」、一般民を無料で治療する「恵民署」を設置し、地方には「医院」、「医学教授」、「医学教諭」、「医学院」、「医学丞」などの医療機関を配置した。李氏朝鮮で刊行になった医学書は1433年に完成された『郷薬集成方』、1445年に完成された医学百科事典『医方類聚』、1610年に完成された許浚の『東医宝鑑』などがある。19世紀に李済馬は『東医寿世保元』を著述して「四象医学」を主張した。四象医学は人間の体質を太陽人、太陰人、少陽人、少陰人で区分して治療する体質医学理論で、現在でも韓医学界では通用している。 18世紀後半には、さまざまな分野で西欧の影響を受けて新たな試みが見られた。19世紀初頭にキリスト教と西欧文化を弾圧する党派が主流になると一時それらは衰退したが、完全に消滅することはなく、開港後は再びその流れを汲んだ試みが続けられた。 なお、1910年における朝鮮の文盲率は90パーセントを越えていた。 環境 外国人訪問者が漢陽(現在のソウル)を世界有数の不衛生な街と評したが、これは公衆衛生という概念が無く汚水の処理などが殆ど行われていなかったためである。朝鮮は20世紀初頭からの日本に併合されるまで、糞尿を道端ですることがごく当たり前に行われていた。 かつては緑で覆われていた朝鮮の国土であったが、冬の寒さの厳しさから薪にするために大量に木を伐採した。朝鮮の大地は岩盤でできているため、木を切ると表土が流れ出してしまい、また植林を殆ど行わなかったため、末期にはほとんどの山が禿げ上がっていたといわれる。このため農業生産が壊滅し、農民は肥沃な満州に移民した(間島)。そのため国家的に松の伐採を禁止したりした。(禁松令)なお、日本による統治時代に多くの山で総督府による植林が行われた。 年表 1392年、李成桂が、高麗・恭譲王の王位を簒奪し、高麗王に即位。 1393年、明国の皇帝に次の国号として「朝鮮と和寧」の二つから選んでもらい、国号を朝鮮に変更する。 1398年、第一次王子の乱 1400年、第二次王子の乱 1401年、明より王を名乗る事を正式に認められる。 1404年、室町幕府と国交回復、日朝貿易盛んとなる。 1419年、日本の対馬へ侵攻する応永の外寇 1443年、訓民正音の制定(1446年公布)。 1498年、士林派に対する弾圧士禍が始まる(戊午士禍)。 1504年、甲子士禍。 1506年、中宗により正音庁(諺文庁)閉鎖。 1510年、三浦の乱。対馬の日本人による反乱。対馬との通行が一時途絶える。 1512年、壬申約条。対馬との通行再開。 1519年、巳卯士禍。 1545年、乙巳士禍。 1555年、備辺司設置。 1559年 - 1562年、黄海道で民衆反乱(林巨正の乱)。 1567年、士禍が終わる。以後、士林派同士の対立が続く。 1575年、士林派の東人と西人の対立始まる。 1592年 - 1593年および1597年 - 1598年、豊臣秀吉の2度の朝鮮侵攻(文禄・慶長の役 - 韓国では「壬辰倭乱・丁酉再乱」と呼ぶ)を受ける。 1607年、江戸幕府と日朝国交回復交渉始まる。 1608年、北人(東人の分派)の大北、光海君を擁立。北人政権が始まる。 1609年、日朝通商条約。日本との通行回復。幕府との朝鮮通信使による交流。 1619年、サルフの戦いで明との連合軍が後金軍に大敗。 1623年、仁祖のクーデター。光海君廃される。大北粛清される。 1627年、後金軍、朝鮮に侵攻(丁卯胡乱)。 1636年、清の皇帝ホンタイジが朝鮮に親征(丙子胡乱)。仁祖、南漢山城に篭城。 1637年、仁祖降伏し、清に服属する。 1660年、礼論(服喪期間に関する対立)により、西人と南人(旧東人の分派)が対立する。 1683年、西人、老論と少論に分裂する。 1721年 - 1722年、辛壬士禍。 1728年、李麟佐の乱。 1784年、キリスト教の伝来。 1791年、キリスト教の弾圧始まる。 1796年、水原城(華城)建設 1801年、キリスト教への大規模な弾圧が続く。 1804年、 士林派による政治の終焉。安東金氏による権勢政治 ( - 1863年)。 1811年、洪景来の乱(地方差別に反発した一揆、平安道農民戦争とも言う)。 1811年、第12回の朝鮮通信使が家斉襲封祝賀のために出立するが、対馬に差し止められる。朝鮮側はこれを不服として以降断交。 1861年、金正浩による朝鮮全図、大東輿地図の完成。 1862年、壬戌民乱(慶尚道晋州を中心にした大規模な民衆反乱) 1863年、大院君政権の成立。 1866年、丙寅邪獄。ジェネラル・シャーマン号事件。 1873年、大院君追放、閔氏政権の成立。 1875年、江華島事件勃発。 1876年、日本の明治政府と日朝修好条規締結。 1882年、壬午軍乱おこる。 朝米修好通商条約締結。 1883年、財政危機を補正し乱れた通貨政策を整備する目的から、造幣機関典圜局が設置される。 1884年、甲申政変、開化派のクーデターは失敗に終わる。 1894年、東学党の乱(甲午農民戦争)、大院君の政局復帰。大院君派と閔妃派の対立が深まる。金玉均、上海で暗殺される。 1895年、閔妃暗殺事件。日清戦争終結。下関条約により清から独立。 大韓帝国 1897-1910 1897年、大韓帝国に改称する。 1904年、第一次日韓協約 1905年、第二次日韓協約(日韓保護条約) 1906年、韓国統監府設置 1907年、ハーグ密使事件。第三次日韓協約。韓国軍、一部を残し解散。 1909年、韓国統監府初代統監伊藤博文が安重根により暗殺される。 1910年、日韓併合条約に基づき日本に併合され消滅。 注釈 参考文献 ブルース・カミングス 『現代朝鮮の歴史』 海野福寿 『韓国併合』 梶原秀樹 『朝鮮史の意味』 旗田巍 『朝鮮史』 旗田巍 『朝鮮の歴史』 藤永壯 『「植民地支配は絶対悪」という真理』・・・『マンガ嫌韓流のここがデタラメ』第八章 金泰俊 『虚学から実学へ-18世紀朝鮮知識人洪大容の北京旅行』 宮嶋博史 『両班-李朝社会の特権階層』 原田武夫 『「日本封じ込め」の時代-日韓併合から読み解く日米同盟』PHP新書 関連項目 朝鮮の君主一覧 - 歴代国王についてはこちらを参照 朝鮮国王の廟号と諡号の一覧 朝鮮の民間療法 朝鮮王朝実録 朝鮮王室儀軌 大清皇帝功徳碑(三田渡碑) 大長今 外部リンク 朝鮮史研究会 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月17日 (月) 12 15。
https://w.atwiki.jp/morisita00218/pages/12.html
高稲 韓国 朝鮮 ウェイト板 誘拐 異常性癖 核兵器保有 ウィルス 著作権侵害 高稲 暴力団 実行犯 ウンコマン 中国マフィア 書類送検 前科持ち 不正 中卒 高稲 犯罪歴 ゴリラ顔 置石 割れ厨 元公安 通貨偽造罪 ドラッグ 臓器売買 高稲 違法 暴行罪 罪状 執行猶予 ゴミ 卒論コピペ 捏造 ウンコマン 高稲 偽計業務妨害 公文書偽造罪 傷害 強盗罪 アレフ 詐欺師 万引き 架空請求 高稲 オウム 少年院 ウンコマン 資金洗浄 アルカイダ 幸福の科学 通り魔 セクハラ 高稲 ドルオタ 凶悪犯 詐欺 ウジ虫 脱糞 信号無視 革マル ひかりの輪 高稲 懲役 大麻 指名手配 マネーロンダリング ナイフ所持 悪徳商法 テロ予告 犯罪予告 高稲 ウンコカイーワ DDOS攻撃 放火魔 ストーカー 幻覚剤 クズ 麻薬 逮捕 高稲 犯罪者 薬物 禁錮 有印私ウンコカイーワ 不審者 サリン 無能 脅迫罪 https //www.youtube.com/user/IKIKAZEBOXING http //raptor.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1455513640/419
https://w.atwiki.jp/vip-shinrei/pages/362.html
朝鮮トンネル地図 大きな地図で見る 構造 不明。 沿革 不明。 管理 不明。
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/9629.html
日本を取り巻く情勢 / 中国 / 北朝鮮 / 韓国 +ニュースサーチ〔特ア・朝鮮系〕 『サンモニ』青木氏「日本はアジア最大最悪級のコロナ感染者が出た」発言で物議 事実誤認の指摘も - ニコニコニュース 在日だって、いいじゃないか! - ニコニコニュース 韓国・済州島「アカ狩り」の悲劇 米軍政下、3万人無差別虐殺 - 西日本新聞 ● 特ア・朝鮮系〔ノイズレスサーチ〕 ● 特ア・朝鮮系〔blog Google検索〕 ● 特定アジア〔Wikipedia〕 ■ 我が郷は足日木の垂水のほとり ■ 左利き 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2019年12月13日)」より / 私の彼は、 左利き。 ぐらいならば、それほど問題はない。 「桜」の字は見たくもない=菅官房長官 2019年12月12日 17時20分 時事通信社 https //news.livedoor.com/article/detail/17516872/ (※mono....引用略) 最近のこと。政治というものが、見えてきたような。あるいは、その本性が。呆れた実態に満ち満ちている。 野党の諸君は、安倍晋三氏。あるいは、彼と志を同じくする。そうした人たちを、攻撃しているような。自民党の中にだって、多くの反安倍の人たちがいる。では、何故。安倍氏がかくも長く政権を維持してきたのか。東京裁判で、多くの有能な軍人が、米国軍の勝手な都合により、私刑にさせられた。そして、政治には。やはり米軍などが干渉して、反日的な傾向のある、朝鮮系が重用された。著名な政治家は、純粋日本人が多いが。それに倍する、出自の怪しい。わが郷・左近尉の見立てでは、朝鮮系が政治家に取り立てられた。いわゆる、『民主政治』は、数の多さで決まる。 それと、つい最近までは、マスコミが嘘の言説を流布させて。民心を上手に攪乱してきた。 政治だけではなく、経済も進駐軍支配の中で、特ア・朝鮮系が。従来の日本人経営者に代わって、役員だとか重職に就けられた。 日産だとか、東芝などが、その端的な例なのだと、思われる。 (※mono....中略) / ほとんどのマスコミが、朝鮮系に仕切られている。 そして、報道は。桜の話ばかり。 でも、特アの政党、立憲民主も、国民民主も、支持率なんか伸びない。 なんだか、川崎市の条例で、盛り上がっている。 でも、左近尉からすれば、川崎なんか。朝鮮人に、政治的には占領されたような。そうした、特殊な街なのだ。そこで、ミギとヒダリの朝鮮人が、バトルを繰り広げている。とにかく、朝鮮人がいい気になれば。醜い抗争ばかりとなる。 (※mono....以下略) .
https://w.atwiki.jp/civilization/pages/2542.html
朝鮮の都市(30) Seoul ソウル 首爾(*1) P yongyang ピョンヤン 平壌 Wonsan ウォンサン 元山 Pusan プサン 釜山 Namp o ナムポ 南浦 Cheju チェジュ 済州 Hyangsan ヒャンサン 香山 Ulsan ウルサン 蔚山 Inch on インチョン 仁川 P yongsong ピョンソン 平城 Taejon テジョン 大田 Paegam ペガム 白岩 Manp o マンポ 満浦 Kaesong ケソン 開城 Chonju チョンジュ 定州 Sariwon サリウォン 沙里院 Suwon スウォン 水原 Haeju へジュ 海州 Taegu テグ 大邱 Chinje チンジュ 晋州 Tokch on トクチョン 徳川 Ch ongfu コンジュ 公州(?) Taegwon テグァン 大館 Sokch o ソクチョ 束草 Hamhung ハムフン 咸興 Iri イリ 裡里 Huich on ヒチョン 熙川 Namwon ナムウォン 南原 Kumgang クムガン 金剛 Oijongbu ウィジョンブ 議政府 朝鮮の都市名漢字化 朝鮮の都市名漢字化MOD